コラム Column

「2020年問題」

最近、「2020年問題」という言葉を新聞や雑誌で見かけるようになりました。今から、5年後の2020年といえば、東京オリンピックが開催される年です。オリンピックの開催をするこの年には、社会の様々な問題が予測されているようです。

「2020年問題」とは、何か一つの特定の問題に対してだけではなく、予測されうる様々なリスクに対する問題として、様々な業界で、使われているようです。

2020年には、地方だけでなく都市部でも人口減少が始まると予測されています。不動産の需要が減り、不動産価格が下落するとも言われています。

現在、景気が多少上向いていますが、アベノミクスが効いていることは間違いありません。それに後押しをされ、「団塊ジュニア」の中の勝ち組が、不動産購入をはじめて内需が増えていることが大きいと見ています。

不動産業界は、現在、忙しいそうです。不動産購入のためにローンを組める、30代後半から40代前半の購買層は今がピーク。「団塊ジュニア」が40代後半となってしまう2020年ごろには不動産購入の需要は冷え込むおそれが強いと思います。2020年頃には不動産を購入する人は減ってしまうと見ています。

また、オリンピック特需が終わり、建設業界の需要が冷え込み、またまた、就職氷河期が到来して、大失業時代になるという予測もあります。

「2020年問題」として、元祖・団塊世代の高齢化に伴う介護の問題が深刻化。大介護時代になるとも言われています。介護の問題は、先が見えない、極めて深刻な問題とも言えるでしょう。正直、親の介護のことは、考えたくない人も多いと思います。

人事に関することでは、「2020年問題」として、次のことが、記事で特集されているのを見ました。

  • 企業の人件費負担増の問題。

バブル期に大量採用したバブル世代社員や人口が相対的に多い「団塊ジュニア世代」社員の高齢化に伴う問題です。

  • バブル・団塊世代のポスト不足、人件費負担増などの諸問題。

現在、多くの企業で人員構成上のボリュームゾーンを占めるのがバブル世代と「団塊ジュニア世代」。5年後の2020年代には、40歳代後半から50歳代前半に到達。賃金水準のピークと同時に、管理職への昇進年齢にもさしかかることになります。

業種を問わず、当該世代の社員の処遇を、どうするかについて、特に大企業を中心に、大きな経営課題として浮上してきたのです。少子高齢化とそれにともなう雇用延長という流れの中で、バブル・「団塊ジュニア」世代に対する人材マネジメントが喫緊の課題になると考えられています。

実は、私自身が、「団塊ジュニア」と呼ばれる世代です。「団塊ジュニア」とは1970年代の第2次ベビーブームによって元祖・団塊の世代と同じように、きわめて出生数が多くなった世代。毎年200万人以上生まれた世代であり、日本の人口ピラミッドの中で、腫れ上がったコブのように人口が多い世代。このコブのように腫れ上がったような人口。「団塊ジュニア世代」を生涯苦しめることになります。

「団塊ジュニア世代」は、別名『貧乏クジ世代』とも呼ばれているようです。人口が多いわけですから、競争が激しくなり、雑に扱われるのは自然の摂理なのです。社会の器というのは、実は、想定された定員があります。「団塊ジュニア」は、いつでもその想定された定員の器から、必然的に溢れることを強いられるのです。

ご存知の通り、「団塊ジュニア」は、バブルが弾けた後、不良債権で苦しむ日本経済の中で、就職活動を強いられた世代。しかし、大変なのは、就職活動だけではありません。小学生の頃から、人口が多い苦労を当たり前の様に常識感覚で、社会から強いられているのです。

私たちの世代は、小学生や中学生の頃、同級生の誰かが、仮設のプレハブ校舎で過ごすはめになった世代。戦争や震災が起きたわけでもないのに、仮説のプレハブ校舎で、過ごした世代。多分、元祖団塊と「団塊ジュニア」以外に、無いと思います。

この世代は、人口統計学上、人口が多い世代。しかし、その世代が過ぎれば、統計的に確実に人口が少なくなることが分かっています。そのため、行政は、社会の器である小学校や中学校を増やすことではなく、この世代に対して、仮設のプレハブ校舎で我慢させたのです。

仮設のプレハブ校舎は、夏は暑いし、冬は寒い。同級生の誰かが、貧乏クジを引くことになるのです。自分が仮設のプレハブ校舎に入れば、もちろん嫌な気持ちになります。正直、仮設のプレハブ校舎に入っている仲間を見ているだけでも、いたたまれない気持ちになるものです。

また、ひとクラスあたりの生徒の数を、通常より5人から6人ぐらい増やして、パンパンの状態にされ、教室に詰め込められたのです。遠足や修学旅行のバスの中では、いつでも、一定数、誰かが、補助席を使うはめになるのです。詰め込まれたのは、教育だけではないのです。

受験は、当然に人数が多いので、受験戦争と呼ばれた程、競争は激しい。予備校の人気講師の授業を受けるだけで、毎回、列をつくってならんだ世代。お金を払っているはずなのに、ギリギリで講義に行くと、教室は満員。立ち見で授業を受けるはめになるのです。夏季講習に申し込むだけで何日も前から徹夜で並んだことが、ニュースになった世代。

就職するときは、バブルが弾けて、有効求人倍率の極端な低下。特に、1999年に就職活動にあたった世代。有効求人倍率0.48倍。0.50倍を切る程の低水準で、就職活動を強いられたのです。正規社員どころか、非正規社員にも、なることが出来なかった人がいた世代。

正規社員になれなかった人は、負け組と位置付けられる社会。企業は、非正規社員や派遣社員で、人件費を抑えるようになります。どこの社会も、「適正な入れ替え戦」があるように、理想的にはなっていません。基本的には、いつの世も、社会は既得権の温床。

一度落ちてしまえば、そうそう努力だけで這い上がれるようには、なっていないのです。次々と負の連鎖が起こりだすものです。だから、私は、安易に、「努力した方が良い。」とは口にしません。そんなことは、身に沁みて分かり切っているからです。正直、何のアドバイスにもなっていないと思います。同世代の中には、ネットカフェ難民やワーキングプアに。統計上、多くの同世代の人が、なっています。

一方、大手企業に入社が出来て、正社員になり、何かレールに乗れたと思っていた人。同世代の中で、少なくなかったと思います。これで、人が多い競争の苦労。ある程度、終わりになったと、勘違いしていた人も多かったような気がします。しかし、まだまだ、終わりにならない。

そもそも、そのレールの上は、先輩たちの既得権の温床。学閥やら派閥が、年功序列で岩盤のようにあるのです。機会平等で、正当な競争が出来るようにはなっていないのです。たいていは、その世代の中同士で、競争することを強いられるものです。企業社会は、まさに、この世の縮図。そして、その後も、「団塊ジュニア」を待ち受ける、想定外の酷い仕打ちの連続。

バブルが弾けて、入社できた会社には、不良債権の山。というより、日本経済全体が不良債権で覆われていたのです。バブルの恩恵は、直接受けることはなく、良かった頃の話をいつも聞かされているだけ。自分たちが蒔いた種でもないのに、自分たちは様々な不良債権の後始末。食い散らかされた宴の後の掃除だけをやらされている状況。

世の中、大リストラ時代。ベテランの先輩たちは、青天の霹靂。悲鳴をあげて、恐怖の中で過ごす毎日。企業は、新人の育成どころか、リストラ対策で精一杯。リストラに多くの時間、人的リソース、会社の利益配分がされます。新人の育成なんて、二の次、三の次。当時は、役員の方々もこれまで経験したことがない転覆する様な不況の中で、手探り状態で大変だったのです

バブルが弾けてそれとともに、年功序列・終身雇用制度が崩れたと言われ、成果主義の下、即戦力が求められます。成果主義の名の下で、問われる結果の責任だけは先輩たちと同じ。もちろん、チャンスは不平等。その上で、年功序列の徒弟関係は強いられる。

年功序列が崩れたと言われ、リストラの嵐の中、先輩たちはノウハウを隠して、まともに教えてもらうことも出来ないのです。年功序列の秩序の下、先輩からノウハウを継承できる日本企業の良き企業風土。崩壊をはじめた時期でもあります。

正直、散々煮え湯を飲まされて、早々に教わろうとも考えなくなりました。仕事とは、教わることではなく、自分で身に付けることだと、私はDNAレベルまで刷り込まれていると思います。身に付けることが出来なければ、先輩たちから、骨の髄までしゃぶられた挙句、酷い結末にあうのです。もっとも、身に付けることが出来ても、何か色々と世話をしたような雰囲気で、近づいて来られ、巧みに様々な搾取をしてくるのですが。

  • 人生とは、どんな人と出会うかで、天と地ほど違ってくるのです。

マーケットが次々と変化する時代に、若手が実力をつけてくれば、今度は、上司から、マニュアル作れ、情報共有、ノウハウ共有などと、当然のように言われたり、実際にやらされたり。

色々と理由をつけられ、本業以外の業務を押し付けられるのです。満足にパソコンソフトも使いこなせない上司や先輩方に、パソコンの操作を教えたり、上司たちのプレゼン資料を作成させられたり。実力をつけたらつけたで、立場を利用され、様々な形で搾取されるのです。

苦労して作成した資料や企画書。上司に出したプレゼン資料が、いつの間にか、作成者や提案者の名前を変えられてしまって取られてしまうのです。自分の名前は出てこないまま、立場を利用されて、理由をつけられ、当たり前の様に取られてしまうのです。業務を丸投げされて、手柄だけをとられてしまうのです。

酷い場合になると、役員へのプレゼン、記事、書籍にまで、自分の作成したプレゼン資料。勝手に使われ、当たり前のように、取られてしまうのです。あれこれ理由を付けられ、取引先に上司顔をして関わってきて、クライアントを横取りしようとしてくるのです。契約までこぎつけたのに、契約伺の名前を上司の権限でとられてしなうこともあるのです。

正直、精神的には、カツアゲにあい、カネを巻き上げられるのと大差ない仕打ち。というより、それ以上に酷いこと。人間的な罪のレベルでは、刑事事件と変わらないような行為。そんなことが会社組織では、社会の闇の中、ゴロゴロしているのです。

  • ろくでもない上司や先輩方を、いかに対処して、
    折り合いをつけて上手く付き合っていくかということ。

多くの人が日々苦労して、日々悩んでいることだと思います。今でもあらゆる面で通じる貴重な経験の一つです。大切な処世術だと思います。人生とは、優秀な人からだけではなく、無能な人、嫌な人、卑しい人からも学ぶべきことが多いものです。

社会が理想的になっていない以上、ろくでもない方々の対処能力は、生きていく上で必須の能力でしょう。嫌な想いをしないと、身につけることが出来ないこともあると思います。人とは、いつも注意して距離を置いておかないと、徹底的に使い込んでくるものなのです。特に資本主義社会とは、そういう輩で溢れた世界でしょう。

そして、一方で、教わることを当然のことだと思っている若者が多いことも事実。上司が、ケツを拭いてくれることを、当然のことだと思っているのです。困れば、助けてもらえると当然に思っているのです。何か、教わることを当然の権利のように思い込んでいるのです。

自分が出来ないことを、経験のせいにしたり、周囲のせいにしたり、環境のせいにしたり。そして、大人扱いにしていれば、舐めた態度に出てくるのです。顧客第一主義だとか言って、本来、やらなくても良いことまで、請求の交渉も出来ないくせに、うけてきて色々とやらされているのです。

なにやら、社会とはいつも理想的に出来ていないし、なっていないものです。社会とはそういうものです。

私は、運よく、優秀な先輩につくことができ、徹底的に英才教育を受けられ、優秀な上司と共に過ごせた期間があり、幸せな方だったと思います。社内だけでなく、業界でもトップクラスの能力と人格者から、直接指導を受けることが出来ました。取引先の担当者やお客様にも恵まれました。

色々ありましたが、私は、結局、運だけは良かったのです。いつも、運が味方をしてくれたのだと思います。よく分からないけど、大変で深刻な状態なのに、偶然が複雑に重なり合い、いつも良い展開になり、結局、上手くいってしまうのです。

当時は、多くの企業で、短期に結果を出さないと、新人でも容赦ない仕打ち。若くして、見きりをつけられ、チャンスを奪われる。閑職に追い込まれたり、リストラをされたり。ビジネスキャリアそのものを身につけることが出来なくなるのです。

社内は、協力ではなく、競争ばかり。しかも、足の引っ張り合いの様な、ろくでもない競争。さらに、その競争は、出来レースの様なものが、ほとんど。外で戦う前に、内の戦いで疲弊している状態。

乗れたと思っていたレール。そのレールには、山のように、上が詰まっていて、いつも何か衝突事故が起きている状態。若手が、力をつけて頭角を現してくれば、出る杭は打たれ放題。あらゆる手を抗され、理由をつけられて、色々利用された挙句。隅に追いやられるのです。出る杭は、打たれるだけでなく、引き抜かれてしまうことだってあります。

まだ、社会にパワハラという概念もなかった時代。リストラで恐怖に震える先輩方から、右も左も分からない新人たちが、次々に、フルボッコの状態。お客を横取りされたり、手柄を取られたり。

バブルが弾けた厳しい市場で、ノルマと責任を背負っているのに、先輩たちの雑用で当然の様に使いまわされ、メチャメチャに踏みつけられる日々。そのため、まともに育っていない人も同世代には多いのです。

それらが、最初の頃の成果主義の実態。過渡期には、様々な問題が起こるものです。苦しみや痛み、犠牲が伴うものなのです。そこから、企業も終身雇用の考えを見直したり、成果主義の運用を勉強して、常に問題を抱えながら、現在進行形で今日の今日まで、いつも、課題を抱えて、日々出てくる問題点を修正しながら運用しているのです。

当時は、企業にコンプラ意識は低く、サービス残業漬け。サービス残業を強いていても、何ら罪悪感も無いような経営者が多かったのです。企業に、まだ、ワークライフバランスの考えはありません。過労死が出ても社会の闇の中で揉み消された時代。ワーク、ワークで、ワーク真理教。馬車馬のように働いた時代。

業績が上がっても、賞与に少し色がつく程度で誤魔化される。その上、報酬に対して、きちんと説明もされないまま。成果主義が導入されたはずが、成績が良くても、利益の配分はきちんとされないのです。世間相場ということで、誤魔化されてしまうのです。

結婚適齢期でも、低賃金なうえに、連日長時間労働。満足に結婚も出来ない。結婚適齢期に、結婚ではなく、別れる選択をした人もいました。当時は大企業でも、まだ、育児休業などを取得している人がほとんどいない時代。

女性は結婚をすれば、当たり前のように寿退社。女性は30歳を過ぎたら、会社にはいられない雰囲気。企業説明会のときに、女性は結婚したら退職と当たり前の様に説明している企業もあった時代。

育休を取得している人が出ると、権利行使をする問題社員扱いにされ、育休を取得した人が罪悪感を抱く様な時代。仮に育休を強行で取得しても、職場復帰は難しかった時代。そんな時代を経ながら、中小零細企業でも、比較的に当たり前の様に、育休が取得できるようになったのだと思います。

結婚しても、膨大な困難に陥っていた世代。「団塊ジュニア」は、結婚しても、子供を産まなかったし、産めなかった夫婦も少なくありません。だから、期待された第三次ベビーブームは、起きなかったのです。あれだけ、人口爆発した世代なのに・・・。

大失業時代のため、雇用は、常に、超買い手市場の状態。新卒採用中心の企業だったはずが、第二新卒をしだしたり、リストラや倒産で社会に溢れた失業者から、ベテランの中途採用をはじめたり。散々、やらされました。中途採用者の子守り。

超買い手市場で、簡単に採用が出来たため、多くの企業が、外部労働力に目移りをしだしたときでもあります。逆に言えば、プロパーの若手社員が、比較的に大切にされなかった世代。

ほとんどの企業で、定昇は抑えられる。若手は賃金の安いまま塩漬け。酷い労働環境でこき使われて、嫌なら、代りはいくらでもいるという会社の態度。実際に、「団塊ジュニア」の代わりは、同世代にいくらでもいたのです。中身はともかく頭数だけなら、簡単に揃えることが出来たのです。雇用は有効求人倍率0.50倍を割っているような状態。

採用の募集をすれば、いくらでも、企業が求める20代から30代前半の働き盛りの応募があるのです。必然と賃金の相場は、安く買いたたかれることになるのです。失われたデフレの20年。物価が下がっただけでなく、賃金自体も大幅に下がっています。賃金が下がった原因に関して、下記があげられています。

  • グローバル化

  • 非正規社員の増加

しかし、私は、上記だけでなく、国内市場は、「団塊ジュニア」の社会から溢れた人の多さも、間違いなくあったと見ています。バブルが弾けて、終身雇用・年功序列がくずれ、まだ運用になれない成果主義が始まる中で、社会に出たばかりで何も分からない、「団塊ジュニア」のほとんどが、いきなり酷い目にあわされるのです。だから、私たちの世代は、強いのだと思いますが。

私の友達には、自営業者が多い。今年の年始に久しぶりに会ったのですが、集まった友達のほとんどが、起業をしているのです。サラリーマンの友達も、専門性の高い勤務医。医者ですから、通常のサラリーマンとは、状況が異なると思います。

起業をした理由について、お互いに突っ込んで話していませんが、どこかで、人口爆発したこの世代からの不毛な競争からの脱出。あったような気がしています。同世代の中でのチキンレースからの脱出です。もっとも起業をする人は、どんな状況でも起業するとは思います。そして私自身がそうです。

結果的に、揉まれに揉まれたおかげで、若いうちに早々に実力をつけられました。早々に強く逞しくなり、精神的に成熟して、起業が出来たのだと思います。

だから、私は、これまで出逢った人達に、感謝こそあれ、恨みはありません。友達もたくさんいる世代なので、とてもラッキーだったと思います。友達はお金で買えません。そして、上司や先輩、後輩も。何より、クライアントの皆様に会うことが出来たのですから。

明らかに他の年齢層よりも人口比率の大きいこの世代。2020年になると賃金水準のピークを迎えることになります。企業は人件費の増加だけでなく、ポスト不足に悩まされるようになるのです。

さらに深刻なのは、彼らが人件費やポストを占領することによって、低賃金が常態化した若年層に、しわ寄せが及ぶのではないかという懸念。限られたポストの中で、企業は、何とかモチベーションを引き出していく人事施策が求められてくるのです。

企業規模が大きくならない限り、ポストは限られているのですから、その限られたポストを巡る、「入れ替え戦」を行う人事制度が必要になってくる可能性もあります。「入れ替え戦」が無いとすれば、ポストに就けなかった人達の失望。その深さは図り知りません。また、仮に、「入れ替え戦」があるのだとすれば、「団塊ジュニア」に、心が休まるとき。定年退職するまで、ないのかもしれません。

最近、「団塊ジュニア」は40代に入り、一定の勝負づけが済んだとも思っていました。企業は40歳を過ぎたキャリアのない人。安いコストで採用できたとしても、もう、見向きもしません。「失われた世代」とも言われ、事実上、満足なキャリアも積めないまま、非正規社員でワーキングプア状態。派遣やアルバイトをいくらしていても、世の中はキャリアとして、中々、認めてくれません。

更に恐ろしいのは、経済格差による貧困状態。自分たちだけでは終わりにならないのです。まだまだ、終わりにならない悲劇。貧困は自分たちの子供にも連鎖。次の世代にまで、苦しみや痛みが襲いかかってくる状態。非正規社員の子は非正規社員になる可能性が高いのです。

最近、余り話題にも出てこなかった「団塊ジュニア」。散々酷い目にあいながら、それでも勝ち組と言われチキンレースに残った正規社員の中で、更に出てきた次なる試練。「2020年問題」として企業の問題に、にわかに浮上。「2020年問題」とは、次のような予測もできるような気がします。

  • モチベーションが無くなり、
    死んだ木のような社員が
    大量に出てくる問題

会社に、ただいるだけのベテラン社員が溢れ、会社の士気を下げさせる迷惑な存在の方が増える恐れがあります。定年退職をカウントダウンして65歳まで雇用される、やる気を失った大量のリストラ候補が出てくる可能性があります。希望とやる気を失って、うつ病となる人が大量に出てこないか心配しています。

給与制度や評価制度、退職金制度などの人事制度を見直す企業が出てきました。最近は、少し景気が良くなり、企業は採用難になっています。採用の募集を出しても、中々、応募が集まらないようです。

良い意味での雇用の流動化。若年層の中で出てきたようです。転職者が290万人あり、5年ぶりの高水準です。転職が出来る社員は、チャンスと捉えて、転職活動で動いています。

そのため、企業は優秀な若手社員が逃げないように、労働条件全体を見直し、そのメッセージを社員に打ち出して、再度、現行の成果主義の仕組みを検討していきたい意向があるようです。その中には、2020年の人件費やポスト不足への対応も念頭にあるような気がしています。

働きがいのある職場の創造が求められる時代。そんな「新たなステージ」が、様々な課題を抱えながら、2020年には、待ち構えているのかもしれません。そして、その活躍の中心を担い、世の中を変えるのが、「団塊ジュニア」だと信じています。

多分、大変なのは、どの世代も同じだと思います。その時代に生まれてこないと分からない、その世代にしか分からない苦労や苦しみ。あるはずだからです。ましてや、私は戦争に行って、防波堤になってくれた世代ではないので、戦争に行った世代から見たら、笑われてしまいますね。

それでも、失われた20年の中で、どの世代も、そして誰もが、それぞれ問題を抱え、大変だということを痛感しています。様々な分野で、にわかに浮上してきた2020年問題。その問題を解決して、希望が溢れる社会をつくるのは、「団塊ジュニア」だと信じています。

作成日:2015年3月16日 屋根裏の労務士

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